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部落問題について正しく知ろう

最終更新日:


教科書から「士農工商」が消えた!

(~部落問題について正しく知ろう~)

※社会の教科書を借りて読み返してみてください。


Q:どうして教科書に部落問題が記述されたのか?

A:昭和40年(1965年)に同和対策審議会は「同和地区に関する社会的及び経済的

諸問題を解決するための基本的方策」について答申しました。

その中で「同和問題の早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」、

「国民の中にある同和地区への偏見・俗説を打破する必要がある」との認識を示しま

した。

そして、部落問題を国民的課題とするとともに、偏見や俗説を否定し、国民に正しく

認識してもらうよう小・中学校の教科書に記載され始めました。

 

Q:教科書の記述はどのように変わったのか?

A:昭和46年(1971年)には小学校の教科書に江戸時代の身分制度についての記述

が登場します。

その当時、江戸時代の身分制度は「士農工商」であり「その下にいちだんと低い身分

を置いた」というピラミッド型で記述されていました。

しかし、それは間違いということが分かってきました。

そのため、現在の教科書からは「士農工商」の表現は消えています。江戸時代の身分

制度は「武士・百姓・町人」の三身分が主で「下に」とされていた人たちは「百姓・

町人とは別に」という表現に変わっています。

 

Q:なぜ教科書の記述は変わったのか?~「士農工商」の本当の意味は?~

A:「士農工商」はもともと古代の中国の言葉でした。身分制度を表す言葉ではなく、

職業を表す言葉でした。「民(たみ)」を職業で分類した言葉が「士農工商」と四字熟

語で表現されたものであり、「民全体」「みんな」などといった意味で理解されてい

ました。

日本には奈良時代になってから伝わっており、例えば「士」は知識人や官吏(役人)

を意味していました(当時は武士がまだいない時代でした)。

しかし、明治初めに行われた身分制度の変革を「四民平等」ととらえたことで、「士

農工商」は江戸時代の身分制度を指すものだと誤解されたまま使われるようになった

のです。

江戸時代の身分制度について、武士は支配層であったものの、そのほかの百姓・町人

についてはお互いに支配・被支配といった関係は無く、対等であったと言われていま

す。

また、「下に」と言われていた身分の人にも一定の経済力や、中には大きな石高(生

産高)を持っていた人もいて、これまでの教科書記述の位置づけとは違う実態が分か

ってきました。

 

Q:今の教科書には部落問題についてどのような記述があるのか?

A:現在、学校で使われている教科書には部落差別の中で生き抜いてきた人たちの姿

が多く記載されています。

世界遺産にもなっている中世に作られた京都の龍安寺の庭園をつくったこと、近代医

学の発展に寄与した「解体新書」を生み出すことになった被差別民衆の解体技術と知

識のこと、日本で初の人権宣言と言われる水平社創立大会での「水平社宣言」のこと

等々、私たちの生活を豊かにする内容が多く含まれています。出版社によってその内

容は異なりますが、日々の研究結果により、部落問題の内容も更新され続けているの

です。

 

 

 

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