西園寺随宜の墓 最終更新日:2020年5月27日 西園寺随宜の墓(さいおんじずいきのはか) 墓碑の写真 指定年月日(種類番号) 昭和54年2月23日(建造物第2号) 所在地 菊池郡菊陽町大字原水3569(古閑原区) 文化財概要 古閑原西端から北に農道を少しのぼった所に西園寺随宜を祀る神社があり、その境内中央部に、玉垣で囲まれた墓碑があります。 この墓の主は、西園寺随宜朝臣(あそん)は、時の左大臣西園寺実晴の末子として京都に生まれましたが、生来、宮仕えを好まず、叔父にあたる長岡忠春の領分である入道水村の安福寺(阿弥陀堂)を仮の住居として、寛文5年(1665年)に移り住みましたが、寛文10年(1670年)8月15日、病にかかり静かに一生を終えました。 随宜朝臣の亡きあと、京都から井上伯耆が迎えの使者として派遣され、一人娘の須也姫をはじめ、侍女たちを京都へ連れ帰ったといわれています。