町章をあしらって、町の人口増加や成長を右上がりのグラフで表現しています。
純農村としての立地条件をはじめ、風俗、民情、文化の面においても同じくし、中学校組合を設け、密接不可分であった、菊池郡津田村、原水村と上益城郡白水村の3村が合併して、昭和30年4月に「菊陽村」が誕生しました。(当時の人口12,115人、世帯数2,069世帯)
昭和39年に、新産業都市の指定を受けて、農地の転換や、工業化が進んだことで、村の産業・交通が促進され、農業と工業の両立や、住民生活の向上に向けた機運が高まりはじめました。
昭和44年1月に、町制を施行し、「菊陽町」となりました。
昭和46年に、熊本都市計画区域に編入されたことを契機に、町は急速に発展してきました。当時、県下最大級と言われた「県営武蔵ヶ丘団地」が建設された影響は大きく、周辺も含めた一体は大規模な住宅街へと変貌を遂げました。
新熊本空港の開港や、九州縦貫自動車道の開通、さらには国道57号(菊陽バイパス)といった幹線道路や、公共下水道の整備などの整備が集中的に進んだことから、都市化はさらに加速しました。
このような変化の中、町は、インフラの整備を進めるとともに、企業誘致にも積極に取り組み、役場周辺の区画整理事業や、光の森地区の住宅開発が進み、人口の受け皿が整備されたことで、住宅の建築が相次ぎ、平成27年4月には、人口が4万人を超えるまでに成長しました。
平成28年の熊本地震後は、防災力の強化を図るため、支援や防災、避難の拠点として、光の森防災広場をはじめ、防災センター、総合体育館を整備しました。